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福音記者マルコ(、)は新約聖書の『マルコによる福音書』の著者とされる人物。ギリシア語ではマルコス。マルクとも表記する。マルコスというのはギリシャ名としては一般的なものであり、また同書の中には筆者の名は直接には記されていないが、伝承は『使徒行伝』からパウロの書簡にたびたびあらわれるマルコなる人物を同一人物と考え、福音記者とみなしてきた。聖人の概念を持つ全ての教派で、聖人として崇敬されている。カトリック教会・正教会での記念日(記憶日・聖名祝日)は4月25日(ユリウス暦を使用する正教会では5月8日に相当)。 == 記録と伝承 == エルサレムの住人であったマルコの名前がはじめて現れるのは『使徒行伝』〔使徒行伝 12:12〕であり、天使によって牢獄から解放されたペトロが「マルコとよばれるヨハネ」の家に行ったという記述である。 ヨハネ(マルコ)はパウロの最初の宣教旅行にバルナバと同行したが、パンフィリア州から一人エルサレムへ帰ってしまった。パウロはこのことを根に持っており、第二回宣教旅行ではパウロがマルコの同行を拒否してバルナバと喧嘩別れしてしまう。マルコは結局バルナバと共にキプロス島へ向かった。これは西暦50年頃のことと推定される。使徒行伝ではマルコについての記述はここで終わっている。 一方、『フィレモンへの手紙』〔フィレモンへの手紙 24〕では協力者の一人としてパウロはマルコの名前をあげている。獄中書簡である『フィレモン』の成立時期は一般に上述の事件よりあとと考えられており、ある説では、決別とフィレモンへの手紙の間に、パウロとマルコが和解したと考える。また、パウロの書簡かどうか説が分かれている『コロサイ人への手紙』〔コロサイ人への手紙 4:10〕では、「バルナバのいとこ」マルコがパウロの協力者として挙げられている〔真正書簡説を採る学者のなかには、コロサイとフィレモンを同時期のものとする説がある〕。 またマルコは伝承によればアレクサンドリアの教会の創建者であり、正教会(ギリシャ正教)とコプト正教会(非カルケドン派)の両派で初代アレクサンドリア総主教とされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マルコ (福音記者)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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